2013年7月12日金曜日

ロボコンの放送は月曜日

facebookで友人たちが、月曜日の大学ロボコンの番組の告知を始めていました。
予告動画があったので見てみると、やっぱり、豊橋は1mmも映っていません。
当事者でなくても、自分の大学が映らないとこんなにも悲しいとは。
それともこれは単に周りに、自分の育てた後輩が、と自慢したい欲求があるからなんでしょうか。

こういった感情と、研究で疲れたのがあったので、自分の時の放送を見てみました。
今見てもやっぱりあの時の緊張感が蘇ってきます。
そして、相変わらず泣きすぎ。

でもこうやって、形あるものとして残っていると、少し落ち込んだ時などに見ることで、自分の原点を再確認できて、頑張る力をもらえます。
どう考えても、この経験がなければ、未だに海外へ出たことすらなく、また出る気もなかったでしょう。
また、ここぞという時に、踏ん張れなかったかもしれません。
こうやって、博士号を取るために、海外まで留学することなんて死んでも考えなかったでしょう。

苦労して登った山でしたが、頂上で周りを眺めてみると、今いる場所よりも遥かに高く、道のりも険しい山が沢山ある事に気付きます。
その険しい山では、ほとんどの人間が途中で脱落していきますが、一握りの人間はさらにさらに高い場所へと登って行きます。
それが、東南アジアのライバル達です。
彼らは、国内予選で200チームもの参加者もうちの頂点に立った者たちです。
険しい道のりを登ってきた彼らは、僕らのように整備された道を歩いてきた者とは全く異なった空気を纏っています。覇気を感じます。
彼らが立ち止まる気配は一切感じられず、それどころか、更に上へ上へと我武者羅に登って行きます。
そして、それに刺激を受けた自分は、彼らには負けたくないと、さらに高いところへ登りたくなります。
彼らは、登れば登るほど険しくなる道のりを自分の足で登っていかなければならず、登るごとに膨れ上がる脱落のリスクを背負っていかなければなりません。
ただ、僕も同じ道を行かなければならないかというと、必ずしもそうではありません。
たまには整備された道を歩いたり、ロープウェイを使って一気に頂上までいくことだってできるわけです。時には休憩すら出来ます。
少し卑怯かもしれませんが、これが環境の、強いては国の違いであって、目的を達成するためにはそれを利用しないわけにはいかないのです。

とは言え、それを利用したとしても、頂上に着けば更に高い山はいくらでもあります。
呼吸ができなくなるほど高い場所まで登っても、周りを見渡せば、普通に呼吸している人はいくらでもいます。
彼らは才能を秘めた人たちで、僕にはできないことも、呼吸をするように、いとも簡単にやってのける人たちです。
今後は、というか今現在もそうですが、そういった人たちとの間を渡りあって行かなければならないと思っています。

つまり何が言いたかったか。
僕は僕なりに、今与えられた環境と、チャンスを最大限に活かしながら、より高い山へ登って行きたいと思います。
と、今日改めて2008年の放送を見て思いました。
というメモでした。

ということで、この日記を締めくくりたいと思います。

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