2014年2月20日木曜日

強すぎるのも難点

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140220-00010003-footballc-socc

チャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦でバイエルンは敵地でアーセナルと戦った.
アーセナルに退場者もあってか,結果は2-0.

それ以上にボール支配率の高さに目がいく.なんと73%.
さらにポジションを流動的に変化して着実に相手のディフェンスを崩していく戦術も素晴らしかった.
と言う記事.

たしかに,プレミアリーグ2位のアーセナルに対して,ほとんど反撃の余地は与えなかったのはすごかった.
ロッベンが左サイドでプレーすることも多かった.


ただ,見ていてつまらない.
強すぎるから.
応援したって,しなくたって勝つんだから.

勝ち進んでいって,強いチームと対戦すると面白くなるのだろうけど,ブンデスリーガにはもはやバイエルンを倒すことのできるチームは無いように思える.

やはりFCニュルンベルクだな.

2014年2月10日月曜日

メモメモ

忘れないように.

日曜日に大迫のTSV1860とFC Bayernの練習を見に行った.
そして,大迫には練習後にユニフォームにサインをもらった.あと,GKキラーイにも

サインを書くときは,台紙の上とかで書くよりも,ユニフォームをピンと張った方が書きやすいそうです.
これでサイン貰い慣れているかどうかすぐわかりますね.

ところで,練習中にキラーイが守ってるところに,大迫がゴールネットを揺らすとキラーイが
「ファ〇ク!オオサコ!」
と言っていた.
もちろん冗談でだけど,それでも大迫のシュートはすごいということでしょう.
そして,キラーイの人の良さもよくわかった.
練習中も和やかなムードにするのはキラーイだったし.


そんなキラーイを私は好きです.



ところ変わってFC Bayernの練習ですが,前日のニュルンベルク戦のため,主力選手は別メニュー.
出れなかった選手が別で,ミニゲームをやっていました.
出れなかった選手とは言え,シュバインシュタイガーやシャキーリもいました.

なんと選手層の厚い...



今度は主力の,特にゲッツェをみたいですが,今は少しバイエルン熱は冷めて,むしろニュルンベルク熱が発症しました.

今週末も試合見に行きたい!そして,勝つところが見たい!!

2014年2月3日月曜日

リケジョは差別用語らしい

今万能細胞STAPを開発(?)した小保方晴子博士が大いに話題になっていますが,こんな記事がありました.

一晩中泣き明かした30歳若手女性研究者と書く我が国にはゴシップ新聞しかないらしい


ここの記事によると,日本のメディアはろくすっぽ新たな発見についての報道はせず,小保方博士の研究室の壁の話だとか,飼ってるすっぽんの話だとか,論文批判されて泣いた話とか,博士個人に対象を絞った記事しか書いてない,ゴシップ誌もいいとこだ.
とのこと.

まぁ,確かに説明が薄いなと思うところもありますが,その中でも気になったのは,「リケジョ」という言葉が差別用語だ.と言われていること.

差別用語だなんて,ぜんぜん知らなかった...

大学でも,リケジョのための企業説明会とかリケジョ女子会だとか,いろいろ女子生徒に対象を絞ったイベントが行われています.

が,リケジョなんて所詮は世の男目線からつくられた言葉であって,女子は理系に行ってはダメなんだと思わせる言葉だからだめなんだとか.

こういう差別的な言葉について,自分は疎いところがあると思ってましたが,こういう一般的に使われている言葉にも潜んでいるとは.
まるで地雷をよけながら進んでいくように,言葉を選んでいかないといけないと思うと少し面倒な気もする.

でも,と考えたのは,気付かないだけで逆に女性目線からの男性に対する差別用語も山ほどあるんじゃないか?ということ.
草食系男子とか,イクメンとか.
と,思ってたらこういう記事も上がってきた.

「リケジョ」は本当に差別用語なのか?「リケダン」や「草食男子」はどうかと、あえて言ってみる



それはまぁ良いとして,目が行ったのはコメント欄.
マスコミがこういうゴシップ的な記事をつくるから,読者が離れて行って,さらにそれを好む人たちの中でゴシップ誌まがいの新聞ができていく.そしてその連鎖が起こるのだと.

でも僕は違うと思う.
それは,このコメントをした崇高な人物にとっては,世の中はなんてくだらない新聞記事であふれているんだと思うかもしれない.
「同じ研究者として憤りを感じる記事」とか書かれているように.
だけどこの崇高な人物は勘違いをしている.世の中は自分と同じ崇高な考えを持った人物しかいないと.
みんな自分と同じ「研究者」の脳みそを持ってると.

僕は,逆に一般の人は,そういったゴシップ的なものを好むから,それに合わせて新聞が変化していってるんだと思う.
卵が先か,鶏が先かのような話なので,決着はつかないと思うけど.

でもこういった否定的な投稿する人は,あたかも自分の意見が一般の意見だと勘違いしている事が多い.
でも母数に比べたら,そもそもこういった所にコメントしてる時点で,圧倒的に少数派だろうから世の中はそれに付いて行くはずはない.それでさらに不満が溜まっていき,連鎖が起こる.
そして度が過ぎると,CMや広告やドラマが撤去・打ち切りされるような時代になっていくわけだ.

書いていくうちによくわからなくなったけど,何が正しくて悪いのか,それは個人的な感情だけではなく,また違う立場から見て判断してもいいんじゃないかなということ.
そしてこれ関係の記事を見て,コメント欄をみて,研究者と名乗る人たちが怒りをあらわにしている中で,自分はむしろ,30歳の研究者という自分に近い人が,どんな生活を送って,どれだけの苦労をしてここまで来たのか,というのが知れてとても参考になったな,なんて呑気なことを思っている事に対して,自分は研究者に向いているのか,という疑問を感じるようになった.
研究者になるには,もっと世の中に対して棘を持って生きていく必要があるのかな?
でもきっと,そんなことだけでものの素質が決まるならば,それこそおかしいな.